学校紹介

【更新日】2024年04月10日

長崎市立山里小学校は、前身である中馬込学校・山王小学校が明治7年(1874)に開校したことをもって創立年としており、令和6年度(2024)で150年目となる歴史と伝統ある小学校です。

明治15年(1882)に中野郷の中野小学校と合併して、山里小学校と称することとなりました。その後、明治18年(1885)に尋常山里小学校、明治25年(1892)に山里尋常小学校、明治30年(1897)には山里尋常高等小学校と変遷し、大正9年(1920)長崎市への編入に伴い、長崎市立山里尋常小学校と改称されています。

昭和16年(1941)の戦時下においては、山里国民学校と改められています。そして昭和20年(1945)8月9日、午前11時2分、原子爆弾が松山上空で炸裂し、爆心地から600mという近距離に位置する本校は甚大な被害を受けることとなりました。校舎は被爆と同時に発生した火災のため、北側の1・2階を残すのみで全焼。児童の犠牲者は約1,300人にものぼったとされています。

昭和22年(1947)に「長崎市立山里小学校」と改称され、今に至っています。

昭和23年(1948)、永井隆博士から50本の桜の寄贈があり、校門、学校へ至る坂、運動場南側に植え付けられ、「永井桜」「永井坂」として今も親しまれているところです。

昭和24年(1949)11月3日、永井隆博士の発案による「あの子らの碑」の除幕式が行われました。この日を後生に伝える「山里小平和祈念式」は、現在も受け継がれています。

昭和49年(1974)創立100周年記念式典が挙行されました。

昭和63年(1988)新校舎が完成し、移転作業を経て、9月1日より新校舎にて授業が行われることとなりました。

本校は敷地内に「原爆資料室」「あの子らの丘」「防空壕」などの平和学習関連施設を有しており、伝統的に平和学習に重点を置いた教育活動に取り組んできています。特に、永井隆博士作詞の「あの子」の歌は、第二校歌といわれるほどに愛好され、山里地区の人々と共に平和希求の思いを受け継いでいるところです。

令和6年度(2024)は、学校教育目標として「やさしさと思いやりで、笑顔がいっぱい~本物の笑顔あふれる山里小~」を掲げ、565人(4月10日現在)の児童の健やかな成長を願い、全教職員で力を合わせ、質の高い充実した教育活動を推進しています。

長崎市立山里小学校

第42代校長 田川雄一

アクセス

住所

郵便番号:852-8114

長崎県長崎市橋口町20番56号

電話番号

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FAX番号

095-844-1068