校長室にある不思議なもの

 校長室は不思議なものがたくさんある場所です。
 入ってまず目に付くのは歴代の校長先生方の写真。明治初期のころのものまであります。初代校長はりっぱな髭をたくわえた、貫禄十分の方です。

 また、原爆が投下された昭和20年当時、ただ一人、国民服姿で写っている校長がおられます。この写真の主、馬渡久吉校長は学校内の防空壕掘りの作業中に被爆し、その後、校内の救護所で亡くなりました。学校の近くにあった自宅でも御家族のほとんどが爆死されており、ただ一人生き残った息子さんの手により、本校の運動場で荼毘(だび)に付されたそうです。
 一枚の写真からも様々な歴史が偲ばれ、感慨深いものがあります。

 原爆投下で全焼した本校になぜこんな古い写真が残っているかというと、実は原爆投下の数日前、掘ったばかりの防空壕に多くの写真や書類を運び込んだそうです。そのおかげで難を逃れたとのことでした。

      
校長室にずらりと並んだ歴代校長の写真。圧巻です。
初代校長。貫禄がありすぎます。 明治初期という時代が感じられます。 昔は髭がステータス? 原爆投下時の馬渡久吉校長。
校内で爆死されています。
 次に目を引くのは、いろいろな大きさの姫だるまです。どうしてこんなにたくさんあるのでしょうか。不思議ですね。
 その理由は・・・毎年、8月9日に大分県竹田市の竹田少年平和使節団の方が来られ、だるまを1個ずつ持ってきてくださっていたのです。何年もだるまを持ってきてくださっていたのでこんなにたくさんあったわけです。
 この姫だるまは大分県竹田市の名物としてとても有名なものです。
    
校長室にあるたくさんの姫だるま。 毎年、竹田少年平和使節団の皆さんが持ってきてくださっています。
 お客さんが来られるたびに色々な物をいただきます。何と国連からいただいたことも。 
 未だによく分からないものもあります。  この船には「メイフラワー号」と、イギリスから新天地アメリカに渡った有名な帆船の名前がついてありますが、いったいどういう経緯でここにあるのか謎です。

 やはり、校長室には永井隆博士関連の品々が多く置いてあります。
    
永井隆博士が残した作品の数々。