山里小学校 歴史写真館 4

復興   昭和20年代

戦後の苦難
原爆投下後、校舎が完全に修復されるまでに多くの年月を費やしました。
終戦後、旧長崎師範学校で授業が再開されました。
復興に尽力された当時の先生方です。
原爆に耐えた1号鐘と以後変遷した号鐘です。
 昭和21年6月、浦上天主堂で行われた原子野の聖体行列。 生きのびた信徒たちの、被爆後最初の劇的な行事であったと
言われています。
「あの子らの碑」の建立
当時の新聞。「あの子らの碑」が建立されることになるという記事。写真は碑の模型です。
昭和24年11月3日、あの子らの碑が建立され、その除幕式が行われました。後方に全壊した浦上天主堂が見えています。
山里小学校の児童の原爆体験記、「原子雲の下に生きて」が永井博士の編纂によって発刊されました。
この本の印税が、「あの子らの碑」の建立資金の一部にあてられました。
それ以来、「あの子らの碑」は山里小学校の心の支えとなり、子どもたちをずっと見守っています。
倒壊した浦上天主堂で元気に遊ぶ山里小学校の子どもたち。 みんな逞しく成長しています。
天国へ旅立った永井博士
如己堂にて親子三人で暮らしてきた永井博士の一家でしたが、白血病の病状が進み、博士はとうとう寝たきりになってしまいました。
  
昭和26年5月1日、原子野の子らを愛した永井博士が天国に旅立ちました。 当時の田川市長により市公葬が営まれました。
博士の葬儀にて。 博士の遺児のお二人。
倒壊した浦上天主堂で行われた永井博士の葬儀にはたくさんの人々が訪れ、博士を見送りました。
山里小学校からは6年生が参列し、児童代表が博士にお別れの言葉を捧げています。
引き継がれる平和への思い
「あの子らの碑」建立5周年。 平和祈念式で花束を捧げる児童代表。
平和祈念式で平和への思いを新たにする子どもたち。
昭和30年2月。増築された校舎の全景です。
1954年(昭和29年)、創立80周年を祝う冊子が発行されました。