山里小学校 歴史写真館 2

昭和初期〜戦時中にかけて

 昭和初期
昭和になったばかりの頃の卒業写真です。 この木造校舎は昭和5年の大型台風によって倒壊します。
上の木造校舎が倒壊したため、昭和7年に鉄筋コンクリート建てで新築された山里尋常小学校の校舎です。
後の原爆投下で多大な被害を受けながらも雄々しく立っていたこの校舎は、修復された後、昭和の終わりまで校舎として使用され続けました。
同じく新築された山里尋常小学校の運動場側写真です。
浦上の地に堂々とそびえ立つ山里尋常小学校。
昭和6年〜14年の山里尋常小学校を表した絵地図。
 戦争の足音
年を経るごとに軍国主義的な色彩が濃くなり、少しずつ学校生活にも影響を及ぼすようになります。
 写真に記入してある皇紀2600年とは1940年(昭和15年)のことです。この年が神武天皇の即位から2600年にあたるとされたため、日本政府が数々の記念行事を計画、推進したものです。
昭和16年3月の卒業記念写真です。 この年にアメリカと開戦し、太平洋戦争が勃発します。
同じく昭和16年3月の卒業記念写真。 女子児童です。
 戦時中
尋常小学校から国民学校へと名称が変わりました。 昭和17年当時の山里国民学校の先生方です。 後に男の先生は戦地に赴かれます。
希望に胸をときめかせて入学してきた当時の1年生です。すべての子どもたちに未来は広がっているはずでしたが・・・。
戦時中の1年生。
戦時中の女子児童。
当時の若い先生方。 次々に出征して行かれました。
当時の体育の授業。

戦時中でしたが、遠足は楽しいものでした。みんな笑顔です。
原爆投下の前年。 水練に出かけたときの写真です。
戦時中の運動会です。 戦闘帽をかぶっているのが特徴的です。
空には万国旗が揺れています。
 フォークダンス
 梯子くぐり
  
 綱引き   
 騎馬戦
  
運動会のワンシーン。
戦時中の児童写真。 校長先生は国民服です。
30年もの歳月をかけて大正14年に完成した、東洋一の大聖堂と呼ばれた浦上天主堂。その在りし日の姿です。
浦上天主堂の内部と鐘楼。
昭和20年1月。浦上天主堂で新年の記念写真です。
同じく浦上天主堂にて。 この年の8月9日、みんなの頭上に原子爆弾が投下されることなど知るよしもありません。
当時の山里小学校周辺。 平和公園のある場所は刑務所でした。
原爆投下直前。学校周辺には多くの家が建ち並び、人々は平常の生活を営んでいました・・・・・。