浦上天主堂


 

浦上天主堂が見えてきました。 6年生が説明します。 今ではすっかり復元された天主堂です。 原爆で焼けた像も置いてあります。



<解説>


○ 浦上天主堂     〜 弾圧に苦しんだ浦上信徒が築いた教会

かつて東洋一を誇った大聖堂。 原爆落下後の天主堂。 見る影もありません。 辺り一面焼け野原となりました。


 江戸時代キリスト教弾圧の象徴的存在だった庄屋屋敷の跡地に、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒たちによって建てられた大聖堂がこの浦上天主堂です。

 信徒を中心に赤煉瓦を一枚一枚と積みあげ、30年もの歳月をかけて大正14年に完成しました。

 当時、レンガ造りのロマネスク様式大聖堂として東洋一の規模を誇り、正面双塔にはフランス製のアンジェラスの鐘が備えられ、浦上の地に澄んだ音色を響かせていました。

 しかし、原爆投下によって浦上地区のカトリック信徒約12,000人のうち約8,500人が爆死。30年もの歳月をかけて建てられた浦上天主堂も一瞬にして全壊。わずかに赤煉瓦の堂壁を残すのみとなりました。二人の神父と、奉仕作業をしていた信徒十数人が天主堂と運命をともにし、さらに夜に入って炎上。

 現在の建物は、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートで再建され、その後、昭和55年(1980年)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が長崎を訪れたのを機に外壁を煉瓦タイルで改装されたものです。これによって昔日の面影がよみがえりました。

 入り口両脇には被爆した旧天主堂のマリア像とヨハネ像が、堂前の庭には原爆の熱戦に灼かれ破壊された聖堂が安置されています。

 今も原爆の爆風に耐えた一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。