如己堂


 山里小学校のすぐ近くにあるとても小さな家です。  

 
     

とても小さな家だね。中には何があるの? 山里小学校と深いつながりがある永井隆博士。 その博士が亡くなるまで暮らした家なのです。



<解説>


○ 如己堂     〜 永井隆博士が晩年、二人の子供とともに過ごした小庵
  

 長崎医大教授で敬虔なカトリック教徒であり、長崎市名誉市民第一号である永井博士の晩年の住居です。
 博士は爆心地に近い長崎大附属病院で被爆し、頭部に重傷を負いながらも被爆者の救護活動に奔走しました。
 しかし、翌日になって帰宅してみると我が家は全焼しており、最愛の緑夫人の亡骸を発見します。真っ黒に焦げたロザリオにより、その遺体が夫人であることを知ったのです。

 戦後、白血病と闘いながら被爆者への救護活動や原爆に関する医学的な研究を続けてきた博士でしたが、以前から患っていた白血病の進行により、ついに倒れてしまいます。
 病床にあった永井博士のために昭和23年(1948年)春、浦上の隣人たちが贈った2畳一間の家がこの如己堂です。博士は、家を建ててくれた人々の心を忘れず、自分もこの愛に生きようと、聖書の「己の如く人を愛せよ」の言葉から、この小さな家を「如己堂」と名づけました。

 昭和24年(1949年)には、永井博士の本の印税などにより山里小学校に「あの子らの碑」が建立され、永井博士参列のもと除幕式が挙行されました。

 博士は亡くなるまで二人の子供とともに畳二畳で暮らし、「長崎の鐘」「この子を残して」など数多くの作品を執筆。戦争の悲惨さと世界平和を訴えた作品はベストセラーとなりました。そして余命3年と宣告されてから6年、昭和26年(1951年)に永眠しました。


 ※ 永井博士について詳しく知りたい方はこちらへどうぞ。

  長崎市永井隆記念館  「己の如く人を愛したひと 〜永井 隆〜」へ