防空壕(跡)

 第2次世界大戦の終わりごろ,山里小学校のこの崖にも20数箇所に防空壕が掘られ避難場所になっていました。

また,被爆当時新しい防空壕を掘る作業をしていた先生方や近所の人たちがこの壕の内外でなくなっていきました。二度とこんなことのないように平和を語り継ぐ場所として残しています。

保存整備前の 

防空壕入り口 



防空壕

 山里小学校の校舎の裏にひっそりと残っている防空壕跡です。当時、いざというときのために教職員や地域の人たちが苦労して掘った防空壕で、山里小学校には全部で20以上もの壕がありました。
 しかし、原子爆弾が落ちたときこの防空壕の中にいたのは、ほんのわずかな人たちだけでした。ほとんどの人たちが防空壕の外におり、原子爆弾の熱線と爆風をまともに浴びることになってしまったのです。
 原子爆弾投下後に息も絶え絶えに逃げ込んできた人たちで防空壕はいっぱいになり、多くの人がこの壕の中で亡くなりました。

 山里国民学校で教鞭をとっていた林英之先生の手記にはこう書かれてあります。

 原子爆弾が落ちた瞬間、突然警報発令もないのに聞こえてきた爆音に、平素なら「敵機何処に」と空を見上げたであろうに、(中略)その時に限って身の危険を感じ無意識に崖を飛び下り、掘りかけの壕に駆け込んだ一瞬が生と死の別れ道だった。壕の奥に「やもり」のようにへばりついた瞬間、百雷が一時に落ちたような強烈な破裂音が聞こえ続いて言語に絶する熱風が壕の中に侵入してきた。

 二度とこのようなことがないように、戦争や核兵器の廃絶を願い、平和を尊ぶ気持ちを大切にする場所として、この防空壕が残されています。

現在の防空壕跡です。安全のため、きれいに整備されています。 戦時中は運動場に18もの壕がありました。
8月9日にはここに先生たち全員が集まり、
壕の周辺で亡くなった多くの先輩らのみ魂
に黙祷を捧げます。
持久走記録会では防空壕前を走ります。 二つの壕は奥でつながっています。 右端の壕の内部です。横穴が見えます。
防空壕の場所を示す案内板。 こちらは以前の案内板。 改修前の防空壕です。 昔の面影を残していました。
  ナガサキ奇跡の少女  67年目の再会より

 原爆が落とされた次の日に撮られた、1人の少女が写る1枚の写真から始まる取材の旅。
 2012年に放送された番組の取材のため、女優の綾瀬はるかさんが山里小学校の防空壕を訪れました。

                                                         ロケ中の綾瀬はるかさん →