神上地区についてA

 

 

 

前回は,

 

神上地区の地区名の由来と薬師如来について,

 

紹介しました。

 

今回は,

 

薬師さんについてわかったことを紹介します。

 

 

 

 前回,4つの疑問を挙げました。

 

@なぜ仏を祀っているのに鳥居があるのか?      

Aなぜ仏を祀っているのに「神」と呼ぶのか?      

Bなぜ仏を祀っているのに注連縄をつけるのか?   

Cこんな変わった神社orお堂って他にもあるのか?  

 

 

あれから3ヶ月・・・

 

きっと

 

気になって気になって仕方ない。

 

・・・という方もいらっしゃることでしょう・・・。

いや,それ以上に

気になって気になって夜も眠れない・・・。

 

きっとそんな方もいらっしゃったでしょう!!

 

そうかな?

そんな,あなたは

 

当コーナーの大切なお客さんですね!

 

 

きっと

 

長浦通

 

と呼ばれること,間違い無しです!

 

ということで

 

またも脱線してしまいましたが,(いつものパターン)

 

いろいろと調べていくと,

 

素晴らしい資料に出会いました!!

 

 

 

 

 

題しまして

『瑠璃光殿薬師如来』

そこで,気になる言葉が・・・

 

瑠璃光殿ってなんぞな?・・・と。

「瑠璃光」とは薬師様の美称です。
それはともかく
ページをめくってみました。
この瑠璃光殿は1766年に建てられました。
神上の瑠璃光殿が書に出てくるのは

 

「郷村記」です。

「郷村記」

曰く

 

「長浦村鎮守社」

とありました。

鎮守社なのだから,

 

当然,神社格です。

これは,奈良時代以降に始まったという

 

神仏習合

 

の考えが根本にあります。

 

これは,長浦を含む

 

大村藩領内でも普通にみられたことでした。

 

って,見てきたみたいですね・・・。

ということですので,

祀ってあるのが薬師如来(仏様)でも

 

神様と同様いうことになり,

だから
 

 
このように立派な鳥居が建つわけですねぇ・・・。

 

つまるところ,

こういうことではなかったか・・・。

江戸時代における神仏習合の考えの中で
 

薬師如来も神とみなされていたのでしょう。

 

 

神上地区の薬師如来は

 

1766年(明和3年)

 

尾戸地区に祀られてきたものをこちらに移動させ,

 

鎮座してもらった。

 

そして,

鎮守社(神)として長浦の人々の崇敬を受けてきた。

ところが
明治元年

世にも名高い

神仏分離令が出され

大村藩においても

明治3年に

「神仏判然之達」が出され,

16箇条にわたる厳しい命令が出されます。

いわゆる

廃仏毀釈

が盛んに行われる世になり,

 

長浦地区の鎮守社としての地位を失った。

ということで,手崎の三社大神社が長浦の鎮守社となる。

 

しかし,長浦の民の意識としては

これまで同様

神様であり,

「薬師様=神様」なので,

瑠璃光殿より上の地区を「神上地区」と名付けたのでしょう。

当然,神様という認識である以上,

鳥居・注連縄のセットも納得がいきます。

こうして,@ABの疑問が解けました。

残り1つの疑問・・・

 

Cこんな変わった神社orお堂って他にもあるのか?  

 

 

ですが,

 

以前,HP作成者が住んでいた時津町にも,

同様の神社のようなお堂がありました。

 

 

左底郷と野田郷を分ける山の中腹に

大原野神社という神社があります。

 

 

その大原野神社の後方に鳥居があり,

「摩利支尊天」とありました。

 

摩利支天はインドの土着宗教由来の仏教天部の仏様です。
仏様なのに神社と同じように祀ってありました。
他にも西海郷にある毘沙門天

鳥居がありました。

上杉謙信で有名な毘沙門天

四天王の1人

多聞天が単独に祀られる際の尊命です。

ちなみに

神上地区の記載は資料の年代に応じて

「かみあけ」

「神揚」

「神上」

となっているようです。
ということで,

 

長浦の謎がまた一つ解けたのでありました。

 

おしまい。

 

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