手崎の三社大神社について(其の四)

 

 

 

前回,三社神社の一の鳥居がどこにあるのか迫っていきましたが,

今回は,その他に分かったことを紹介したいと思います。

 

三社大神社が

 

三社大権現

と記載されている資料を見つけました。

そこで,
HP作成者の中では完結させていたはずの

 

このテーマに再び挑戦してみます!!

まずは三社神社のおさらいです。
三社大神社の「三社」とは,

 

三柱の神様のことでしたね。

三社大神社にある

石碑にも

大日靈貴尊(天照大神)

譽田別尊(八幡神)

天兒屋根命(中臣氏の祖)

の三柱となっていましたね。

そこで,校長室の本棚にひっそりと眠っていた

『琴海町史』

なる本を開いてみます・・・。

何やら分厚くて読みづらそうです。

 

しかし,作成者はものすごく忙しい時期にも関わらず,

何時間も見はまってしまいました・・・。(反省)

さて,本題に・・・
1875年(明治8年)に出された

「第拾四大区神社明細調帳」

には上述した3柱の神様の記載があります。

 

しかし

1856年(安政3年」)の

「大村郷村記」によれば

これとは違う神様が挙げられています。
曰く
 

品陀別和気命

建御雷之男神

経津主神

 

とありました。
この御名でどのような神様か分かる方・・・・。
あなた
「神主さん」・・・だねぇ?
それとも・・・
「古事記・日本書紀マニア」・・・だねぇ?
そんなことはどうでも良いとして,
 

品陀別和気命

「ほむだわけのみこと」

と呼び,

漢字は違えど,

譽田別尊と同一です。

 

応神天皇=八幡神と同一で,

戦いの神とされています。(諸説あり)

 

 

建御雷之男神

「たけみかづちのおのかみ」

と呼び,

武甕雷命

と同一です。

武甕雷命はの鹿島神宮の神で,

出雲の国譲りの場面で,

建御名方之神(大国主命の子=諏訪神)を

諏訪へ追っ払った神(副将格)です。

ちなみに大国主命(出雲神)の子には

事代主神(ことしろぬしのかみ)

という神様がいます。

いわゆる一言主~(一言さん)で,

 

恵比寿様と属性が同じという説もあります。

 

長浦近辺では

恵比寿さんは港付近に,

大国主命は村松郷の豊嶋神社に,

祀られています。

 

建御名方之神は琴海には鎮座していませんが,

長崎市ではお諏訪さんが有名です。

 

長浦の恵比寿さん

(後ろに長浦小の校舎が見える)

経津主神香取神社の神で,

「ふつぬしのかみ」

と呼びます。

これまた出雲の国譲りの場面で,

高天原から葦原中国(日本の国土)に派遣された大将です。

ちなみに長浦近辺では

西海郷(明誠高校の裏付近)に鎮座しています。

建御雷之男神経津主神

剣術道場に祀られていますね。

ということで
 

『郷村記』に挙げられていた

 

1856年当時の三社神社の祭神は

 

品陀別和気命

建御雷之男神

経津主神

 

三柱とも戦の神です!!
戦う人の守護となる神を三柱祀っているということは,

 

自分たちを守ってもらいたかったのでしょうね。

さて,
 

手崎の人たちは

 

一体,

 

誰と戦っていたのでしょうかねぇ・・・。

 

謎が謎を呼び,

もう答えが出そうにありません。

今日も頭を抱えながら,


PCに向かうHP作成者なのでした・・・。

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