| ■□■長崎市の学校給食の歴史■□■ |
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年代 |
特色 | 献立 | 思い出 | その他 |
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20年代 |
欠食児童が多く、全員家に帰って食べていた。中には食べられなくて水だけ飲んでがまんする児童もいた。 午前と午後に分かれて登校していた。 |
戦後(S21.2.12)はじめて副食給食が開始されたのは、稲佐小学校でした。 | ||
| 占領軍の放出物資で給食開始 (食器は家から持参していた。) |
・ジュース(パインなど) ・缶詰(タンシチュー、マカロニ、コンビーフ、さくらんぼ、干ぶどう、あんず、なつめなど) |
先生が、ジュースをメスシリンダーで1人分ずつ計って配っていた。 | ||
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22年 |
脱脂粉乳と缶詰の給食 | 缶詰(トマトサージン、くじら肉、大豆と昆布の甘辛煮) | ・5・6年生が、給食を肩にかついだり、大八車にのせたりして学校まで運搬していた。 ・ほとんどの料理の肉は、くじらの肉でした。(くじらが硬くて食べにくかった) |
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26年 |
パン、ミルク、おかずの完全給食 | ・コッペパン ・脱脂粉乳のミルク ・マカロニ―シチュー ・くじらとじゃがいもの煮物 ・粉ミルクとさつもいものクリーム煮 ・くじら肉と大根葉の炒め物 行事食やぜんざい、バナナが年一回でるようになる。 非常食にかんぱんがでる。 |
脱脂粉乳の膜や臭いが嫌だった。
ぜんざいが大人気。 |
給食は、まき・石炭・重油で炊いていた。
食器類はすべて熱湯消毒をするようになる。 |
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年代 |
特色 | 献立 | 思い出 | その他 |
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30年代 32年 |
週5回の給食が実施。 | 一品料理の給食 ・くじらの竜田揚げ ・くじらのソテー ・ひじきの煮物 ・カレー(くじらの肉使用) ・大豆の煮物 ・うどん(だしは魚粉で、こさずにそのまま出していた。) 化学調味料をよく使用していた。お茶もでていた。(庁務員さんが沸かすところもあった。) |
脱脂粉乳がおししくない。鼻をつまんで飲んだ。 パンはコッペパンだけで、袋には入っていなかった。(学校で近くのパン屋さんから来ていたので、ホカホカでおいしいところもあった。) (袋に入っていなかったので床に落としたら職員室で焼いてもらった、これが、楽しみの一つだった。) 夏の渇水で、パンとマーガリンやジャムなどの食品ばかりの時があった。 |
1800食を3人の調理員さんで炊いていた。(西城山小)
栄養士が入る前は、女の先生方が献立作成、発注、栄養価計算をしていた。 30年代後 市雇い栄養士 30年代後PTA雇い栄養士 |
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30年後半 |
市内統一献立(S39) | 脱脂粉乳のミルクは、大きなミルクポットに入れてあった。
じゃがいも料理が多かった。 チーズが初めて給食に登場した。脱脂粉乳のミルクにココア入りがあった。 |
干ぶどうと生野菜と揚げたじゃがいもをカレー味で仕上げたインディアンサラダは、人気があった。(中には嫌いな人もいた。) 木のはし(割りばしのような)を使用していた。乾燥機がなく、いつも湿った感じだった。 |
調理員1人に児童500人となる。(S36)
東長崎中学校でも給食が始まった。(S37) |
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年代 |
特色 | 献立 | 思い出 | その他 |
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43年 |
パン使用の小麦粉が無漂白となる。 | 脱脂粉乳にビタミンA(リバA)、ビタミンC(ホサンC)を添加。 かんゆ一粒ずつ。 |
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44年 |
ミルクから牛乳に切替。 食パン、黒砂糖パンが加わる。 |
パン、牛乳、おかず2品の給食(牛乳は、びん入り) | ・牛乳のふた集めをして遊んだ。 ・牛乳当番がせんあけをしていた。 (ふたあけ係さん) |
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45年 |
牛乳180CCが200CCになる。 | インスタント調味料を使用。 | お盆洗いを自分でしていたので嫌だった。 | |
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46年 |
麺のとき、小型パンになる。 | 添加物にはちみつがでる。 | 牛乳びんを教室まで運ぶのが重く、大変だった。(落として割れたこともある。) | |
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47年 |
卵パン、トッピングペーストパンが加わる。 | くじら料理がでる。 ・くじらのフライ ・角煮しょうが煮 ・くじらの角煮 ・くじらのオーロラ煮 ・カレー、スパゲティーが人気 |
・デザートが楽しみだった。
・雑煮のもちが、白玉で嫌だった。 |
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年代 |
特色 | 献立 | 思い出 | その他 |
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50年 |
パン小麦粉に強化していたLリジンの廃止運動が起きる。 | 50年11月よりLリジン廃止。 (リジンの問題から、食品を見直そうという動きになってきた。) |
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51年 |
インスタントだしの中止 煮干、出し昆布を使用するようになる。 野菜、果物に洗剤を中止し、流水で洗浄するように変えた。 さとうを上白から中白に変える。 |
ドーナツが好評
フルーツ白玉とひじき、きつねうどんときんぴらという組み合わせが多かった。 |
嫌いなものも残さず食べるように指導を受けた。(遊び時間や掃除時間も食べていた。) | |
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52年 |
うどん用の小麦粉が無漂白になる。 | 手作りの揚げ物(トンカツなど) | ||
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53年 |
牛乳が紙パックに変わる。 | テトラパックの牛乳は、たたむのが大変だった。 | ||
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54年 |
麺類の時に、割りばしを使用。 | |||
| 56年 | 米飯が月1回開始、ミルクパン中止 | 米飯給食 | ||
| 57年 | 牛乳の紙パックの型が変更 米飯週1回へ、はし持参 |
くじらの肉があまりでなくなった。 | ||
| 58年 | 合成洗剤の使用中止 | |||
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年代 |
特色 | 献立 | 思い出 | その他 |
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平成元年 |
消費税導入 | 栄養士20名(2名増) | ||
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2年 |
牛乳保冷庫設置完了 | バイキング給食を戸町小・深堀小で実施。 | ||
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3年 |
米飯にあった献立がすくなかったので、新献立を数多く取り入れるようになった。 | 外国の料理や新メニューが増えて楽しみだった。 おかず3品の日が増えてきた。 |
栄養士31名 調理印委託制度開始 |
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4年 |
米飯週2回 | 特殊パン(卵パン、蜂蜜パン、胚芽パン)を使用。 | ||
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5年 |
玄米パン使用。 特殊パンも大きさを低・中・高の3段階にした。 |
冷夏のため、野菜が急騰したので献立に苦慮した。 | ||
| 6年 | 水不足のため、週3回のパンの日が冷食給食となる。(11月14日) | |||
| 8年 | 腸管出血性大腸菌O157による大規模な食中毒が発生したため、衛生管理が強化される。 | 好きなものばっかり出るのは嬉しいが、おなかいっぱいにならない。 寒い中、冷たい牛乳やゼリーで体が温まらない。 |
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