〜土井首 地名由来〜



土井首とは…
 
およそ一万年前、氷河が融けて海面が上昇した縄文海進の頃野母半島各所には狭い谷が多く形成され、中でも土井首地区はその代表的な地形を成していました。
 こんな谷間の地を人々は昔からクボチ(窪地)やクビチ(首地)と呼びました。
 つまりドイノクビのクビは首地の意味をもっているのです。
 この地区には鹿尾川と江川の二つの川があり、いずれも海水の遡行で、低地では浸水が繰り返されていました。
 人々は水田を土塁で囲み、稲を守りました。
 このことは「土囲」または「土囲田」の地名が残っていることでもわかります。
 つまり「土井首」の地名は「土囲のある首地」を言ったのがその起源だと考えられるのです。


毛井首とは…
(校区内にある
地名です)
 
 毛井首(ケイクビ)は同じ首地ではあっても、草木の生い茂った首地を意味します。
 「毛」は上代語で草木のことを言うからです。
 もともと「毛首」だと考えられますが、「土井首」と対比させ「井」の文字を添えたのでしょう。
 従って、呼称はあくまでも「ケークビ」であり、「ドイノクビ」のように「ケイノクビ」というのは誤った呼び方だということになります。


京太郎とは…
(校区内にある
地名です)
 
 この地は裾野に集落がある山寄りの地で、燃料の採取地だったと考えられています。
 昔、火つきのいい燃えやすい燃料として「バイラ」とか「ベイラ」を使っていましたが、これよりもさらに火つきのよい「ヨドロ」と呼ばれるものがこの地でたくさん採れました。
 竹成分の多いものを竹ヨドロ、木が多いのを「木ヨドロ」と呼びました。
 京太郎はおそらく「キヨドロ」が生い茂ったところでした。
 後にキヨドロがキヨトロと清音化しさらにキヨタロに転訛して、ついには「京太郎」の文字で表すようになったと考えられています。


参考文献「地名のルーツを探る 長崎・野母半島」 著 真鳥喜三郎氏

師の研究は、遺志を受継いだ御長男の真鳥剛氏(江川町在住)によってまとめられました。
剛氏は、江戸〜長崎の参勤交代の往路を実際に自分の足で歩かれた方です。
引用させていただいたことに感謝申し上げます。



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